動く歴史地図

ひす鳥
MOVING HISTORY MAPS

その土地で、
何が建ち、燃え、
埋められてきたか。

城や都や古墳のまわりの移り変わりを、時代をたどって動かせる3D模型にしています。インスタで公開している「動く歴史地図」を、ここではさわって遊べます。回したり、寄ったり、地面の下を透かしたり。

地形と建物の配置は模式図です。建物や古墳の大きさは見やすいように強調しています。年代や数字には、模型の中で出典を添えています。

いただいた指摘と、直した記録 →

模型の棚

Models
江戸城の地層 — 寛永の天守と堀、丸の内の町並み
縄文 〜 令和

江戸城の地層

縄文の海から、令和の東御苑まで。山を崩して海を埋め、三度建った天守と、建たなかった天守。

直しました 3件 さわってみる
大坂城の地層 — 豊臣の大坂城と城下町、河内湖の名残
縄文 〜 令和

大坂城の地層

上町台地の北の端に、何が建ち、燃え、埋められてきたか。豊臣の城が土の下へ消えていく瞬間も。

直しました 3件 さわってみる
名古屋城の地層 — 名古屋台地の角に建つ大天守と石垣
縄文 〜 令和

名古屋城の地層

台地の角に、町ごと引っ越してきた城。清須越、金鯱、空襲、そして御殿の復元まで。

さわってみる
京都の地層 — 平安京の碁盤の目と右京の西三条第
794 〜 令和

京都の地層

碁盤の目はそのまま。町は東へ。でも西にも、物語が残った。左京と右京、都の西の外まで。

English 版あり さわってみる
慶長の築城ラッシュ — 日本地図の上に次々と建つ天守
1600 〜 1615

慶長の築城ラッシュ

城が生まれ、城が消えた15年。関ヶ原のあと各地で城が建ち、一国一城令で消えていった。

さわってみる
大阪・奈良の古墳 — 濠に囲まれた仁徳天皇陵古墳
3世紀 〜 7世紀

大阪・奈良の古墳

大きくなって、また小さくなる。纒向と箸墓から、仁徳天皇陵古墳、飛鳥の小さな円墳まで。

さわってみる
奈良 都は田んぼに、寺は町に — 東大寺大仏殿と門前の町
縄文 〜 令和

奈良 都は田んぼに、寺は町に

都は田んぼに。でも寺は残り、寺のまわりに町が育った。縄文から今までの奈良。

さわってみる
縄文海進と貝塚 — 関東の奥まで入りこんだ海と、岸に並ぶ貝塚
約7000年前 〜 令和

縄文海進と貝塚

約6000年前、海は関東の奥まで。海が動くと、ムラも動いた。貝塚は、いまの町の下に。

さわってみる
縄文の北東北 — 海が入りこんだ津軽と三内丸山
約1万年前 〜 令和

縄文の北東北

海と寒さの1万年。海が入り、ムラが栄え、寒くなったあとに、石の輪が現れた。

さわってみる

※ スマホでも動きます。指でなぞると回り、2本指で寄れます。下の年表の点を押すと、その時代へ飛びます。

直しました帳

Corrections

インスタのコメントや見直しでいただいた指摘と、どう直したかの記録です。歴史は、たくさんの目で確かめながら描いていくもの。教えてくださった皆さん、ありがとうございます。

  1. 2026.10.2大坂城の地層インスタのコメントから直しました 10.2
    いただいた声
    昭和の場面が「1940年」になっていて、戦時中の天守のように読めてしまった。
    直したこと
    昭和の場面を、天守がよみがえった「1931年(昭和六年)」に。あわせて1945年の説明を「空襲で砲兵工廠は壊滅。天守のそばに1トン爆弾が落ち、天守台の石垣がゆがんだが、天守は無事だった」に書き直しました。
    確かめた資料
    観光庁 多言語解説
  2. 2026.10.1江戸城の地層インスタのコメントから直しました 10.2
    いただいた指摘
    本郷台地の東が海になっている。そこは陸では? 神田川のつもり?
    直したこと
    縄文のあとの上野・下谷のあたりを、海ではなく低地(陸)に。神田川は1620年に伊達政宗が神田山を切り通して掘った川なので、その場面「山を切り通して、川を通す」を新しく足しました。
    確かめた資料
    千代田区の町名由来板「駿河台」ほか
  3. 2026.9.30江戸城の地層インスタのコメントから直しました 10.2
    いただいた指摘
    「日本橋」「丸の内」の地名の位置がずれている。
    直したこと
    2つの地名の札を、正しい場所へ移しました。
  4. 2026.9.28大坂城の地層インスタのコメントから直しました 10.2
    いただいた指摘
    河内湖は、安土桃山時代にはとっくに消えている。
    直したこと
    広い湖は奈良時代までに。中世には土砂で埋まり、「深野池・新開池」という2つの池と湿地だけが残る形にしました。1704年の大和川の付け替えで干上がり、新田になります。地名も「河内湖の名残」「深野池」「新開池」に。
    ひとこと
    本物の2つの池は、模型の範囲よりもっと東にあります。模型では、東の縁に池の西の端だけが見える模式にしています。
    確かめた資料
    大東市「大東市のおいたち」、東大阪市「東大阪のいまむかし」
  5. 2026.9.27江戸城の地層公開後の見直しから直しました 9.27
    見つけたこと
    神田山を崩した年と、日比谷入江の埋め立てが始まった年が、同じ年(1593年)になっていた。
    直したこと
    2段階に分けました。「1592年 城の堀を掘った土で、入江の北を埋めはじめる」「1603年 天下普請。神田山を崩した土で、町づくりが本格化」。
    確かめた資料
    遠藤 2004(地学雑誌)、大丸有エリアの資料、中央区の資料
  6. 2026.9.27大坂城の地層インスタのコメントから直しました 9.27
    いただいた指摘
    惣構の空堀が、難波宮の跡の真ん中を突っ切っている。実際はもっと離れているのでは。
    直したこと
    空堀を難波宮の南の外へ移し、その外の真田丸もさらに南へ動かしました。
    確かめた資料
    大阪市の資料(惣構は方2km)

気づいたことがあれば、インスタのコメントやDMで教えてください。確かめて、直して、ここに書き足します。

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